「楽をする」は悪いことじゃない ― AIを壁打ち相手にして、のんびり時間を増やす

仕事でAIを使うようになってから、もう何年か経つ。最初はちょっとした文章の下書きや、面倒な集計作業を任せる程度だったが、今では考えごとの相手として使うことのほうが多くなった。35年近く仕事をしてきた中で、道具の使い方がここまで変わった数年間はなかったように思う。パソコンが一人一台になったときも、スマートフォンが仕事に入り込んできたときも、それなりに驚いたが、AIはそのどちらとも少し違う変化だと感じている。

AIの二つの使い方

自分の中では、AIの使い方は大きく分けて二つあると思っている。一つは、単純作業をまるごと任せてしまう「効率化」の使い方だ。長い資料に目を通して要点をまとめてもらったり、会議のメモを整理してもらったり、定型的な文章の叩き台を作ってもらったりする。以前なら半日かかっていたような作業が、驚くほど短い時間で片づくこともある。この使い方は、時間そのものを浮かせてくれる。

もう一つは、考えがまとまらないときに、質問を投げかけながら一緒に整理していく「壁打ち」の使い方だ。頭の中でぐるぐる考えていることを、そのまま言葉にして投げてみる。すると、こちらの考えの穴や、まだ言葉になっていなかった部分が見えてくる。たとえば、新しいやり方を試すかどうか迷っているとき、頭の中では堂々巡りになりがちだが、AI相手に「何を迷っているのか」「何がひっかかっているのか」を一つずつ言葉にしていくと、いつの間にか自分の中で答えが出ていることがある。誰かに相談するほどでもない、けれど一人で抱えているには重い。そんな中途半端な悩みごとを、気軽に転がしてみる相手として、AIはちょうどいい距離感だと感じている。

「楽をする」ことへの後ろめたさ

正直に言うと、以前は「楽をする」ことに、どこか後ろめたさがあった。手間をかけることこそ誠実さの証だ、時間をかけて考え抜くことこそ仕事への向き合い方だ、というような感覚が長いあいだ抜けなかったのだと思う。以前の記事に書いた、1日3時間ほどしか眠れなかった時期の名残なのかもしれない。あの頃は、時間をかけることと成果を出すことが、ほとんど同じ意味だと思い込んでいた。

道具を使って楽をすることは、手を抜くことと同じではないはずなのに、なぜかそこに罪悪感が結びついていた。おそらく、若い頃に染み付いた「苦労した分だけ評価される」という感覚を、無意識のうちに引きずっていたのだと思う。効率よくこなすより、時間をかけて泥臭くやることのほうが評価された時代を長く見てきたので、その価値観がなかなか抜けなかったのも無理はない気がする。

気持ちが変わったきっかけ

その感覚が変わったのは、浮いた時間を何に使うかを考えるようになってからだった。楽をすること自体が目的なのではなく、浮いた時間をどこに回すかのほうがずっと本質的なのだと気づいた。

以前の記事で、のんびり過ごすこととゴロゴロ過ごすことは必ずしも一致しない、という話を書いた。この気づきは、それとよく似ている。何もしない時間を増やすことがのんびりではなく、自分が大事にしたいことに時間を回せることこそがのんびりなのだとすれば、AIを使って浮かせた時間を趣味やのんびりする時間にあてることも、立派な「のんびりの作り方」の一つだと思えるようになった。

前回の記事では、部屋を片づけるときに「やめる→減らす→変える」という仕事の考え方を使った話を書いた。AIとの付き合い方も、実は似たところがある。考える作業をすべて自分で抱え込むのを「やめる」、悩みごとにかける時間を「減らす」、そのぶんの時間の使い道を「変える」。仕事のために身につけた考え方が、こうして暮らしのあちこちに顔を出してくるのは、なんだか面白いなと思う。

暮らしや趣味への応用

たとえば休日、スノーボードに出かける計画を立てるときも、候補地の情報や持ち物のリストをAIに一度洗い出してもらうことがある。天候や道路状況、混雑しやすい時間帯といった細かい下調べを任せてしまうと、自分ひとりで一から調べるより早く選択肢が出そろう。そのぶん実際に準備をしたり、当日を楽しんだりする時間が増える。調べものに時間を取られて、肝心の当日が疲れて終わる、ということも減った気がする。

手工芸品を作るときも、アイデアの整理に使うことがある。「こんな雰囲気のものを作りたいけれど、どう組み立てればいいか分からない」というぼんやりした思いつきを言葉にして投げると、いくつかの方向性を一緒に整理してくれる。案が出そろった時点で、実際にどれを選ぶか、どう手を加えるかは自分で決める。最終的に手を動かすのは自分だが、考える段階の伴走者がいるだけで、取りかかるまでの腰の重さがずいぶん軽くなる。

モータースポーツの観戦計画でも同じで、レースのスケジュールや見どころ、注目しておきたいポイントを事前に整理してもらってから予定を組むと、当日は余計なことを考えずにただ楽しむことに集中できる。準備にかかる時間を圧縮できた分だけ、のんびり過ごすための余白が生まれている感覚がある。

気をつけていること

一つだけ気をつけているのは、AIに任せきりにしないことだ。考える段階を丸ごと手放してしまうと、自分の中に残るものが少なくなってしまう気がする。趣味の楽しさは、迷ったり調べたりする過程そのものにもあると思っているので、そこまで手放してしまってはもったいない。あくまで、たたき台を作ってもらったり、話し相手になってもらったりする程度にとどめて、決めるのは自分、という線引きは崩さないようにしている。

道具に振り回されるのではなく、道具を使って自分の時間を取り戻す。そのくらいの距離感が、のんびり暮らしとは相性がいいのだと思う。

仕事の中で身につけた「AIを使って考える」という習慣が、暮らしの中でものんびり時間をつくるための工夫になっている。楽をすることを後ろめたく思わなくなったぶん、浮いた時間を趣味やのんびりする時間に素直に回せるようになった。これからも、仕事の場で見つけた小さな工夫を暮らしに持ち込む話を、少しずつ紹介していきたい。

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